SAMEZU
2017年5月26日
テーマ:お知らせ
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投稿者:renovationblog
外装部の森川です。
先日、新しいプロジェクト(1棟リノベーション)の土地の読み込みにいってきました!
場所は”鮫洲”。
鮫洲といえば、運転免許センター。
のイメージしかありませんでしたが、とっても奥深いです。鮫洲。
東京湾へと繋がる京浜運河を望めば、古くからの船着場と向こう岸には向上やビル郡の壮大なパノラマがひろがります。

そしてこちら岸には花海道。

新旧いりまじる風景の中に運河の風景は、心が癒されるだけでなくエネルギーがわいてくる、
そんな場所でした。
運河より一歩奥に進むと、かつての品川宿へと続く旧東海道が今でも残っています。

このあたりは江戸への宿場町の画ゴール地点の品川宿エリアであっただけでなく、
物件の近くには、幕末に活躍した土佐藩や仙台藩の下屋敷跡がのこされていました。
ちなみに、「鮫洲」の由来は諸説あるそうなのですが、
鎌倉時代に品川沖で大鮫が死んで浮いているのを漁夫がみつけ、
この鮫の腹を割いてみると、成観音の木像が出現。
この成観音は鮫洲音と呼ばれ「鮫洲」の地名になったといわれていいます。
(こちらの写真は、その聖観音がまつられている海晏寺です。)
そんな不思議な伝説が残る鮫洲。
他にも見所が沢山あるのですが、、、気になった方は是非鮫洲へ足を運んで見て下さい。
先日、新しいプロジェクト(1棟リノベーション)の土地の読み込みにいってきました!
場所は”鮫洲”。
鮫洲といえば、運転免許センター。
のイメージしかありませんでしたが、とっても奥深いです。鮫洲。
東京湾へと繋がる京浜運河を望めば、古くからの船着場と向こう岸には向上やビル郡の壮大なパノラマがひろがります。

そしてこちら岸には花海道。

新旧いりまじる風景の中に運河の風景は、心が癒されるだけでなくエネルギーがわいてくる、
そんな場所でした。
運河より一歩奥に進むと、かつての品川宿へと続く旧東海道が今でも残っています。

このあたりは江戸への宿場町の画ゴール地点の品川宿エリアであっただけでなく、
物件の近くには、幕末に活躍した土佐藩や仙台藩の下屋敷跡がのこされていました。
ちなみに、「鮫洲」の由来は諸説あるそうなのですが、
鎌倉時代に品川沖で大鮫が死んで浮いているのを漁夫がみつけ、
この鮫の腹を割いてみると、成観音の木像が出現。
この成観音は鮫洲音と呼ばれ「鮫洲」の地名になったといわれていいます。

そんな不思議な伝説が残る鮫洲。
他にも見所が沢山あるのですが、、、気になった方は是非鮫洲へ足を運んで見て下さい。